暇が辛い



暇が辛い。正確に表すならば、今できるはずだったことができなくなってしまったのが辛い。ちょっとした一息などの余白や余裕のある時間は好きだが、先週注文した印刷会社によるトラブルが発生し、作業が進められないという不意に訪れた暇が辛いのだ。

とある印刷会社にて発注した紙がすべて、まるで雨に濡らしたあとの本のようにヨレヨレだったのが始まりで、前回の印刷トラブルの際は早急に同じ内容のものを再発送してくれて、こちらから返品する際はいつでも構わないという手順だったのだが、今回に限ってはまずこちらが返品処理をし、相手側が確認した上で再発送するかどうかというふうに発展してしまった。この時点で、本来ならば今日にはすべて終わっていた作業が、未だに返信待ちという事態に陥ってしまったのである。

だからこそ映画を見たり、ブログをまた書き始めてみたりとしているのだが、やっぱり「今やろうと思っていたこと」が「今できないこと」は私にとってとてもストレスかつ苦痛である。普段からこのように神経質気味にイライラしているわけでもないのだが、自己分析してみるとこれは「日常」と「作品」の違いが大きいのだと思う。

たとえば、以前渋谷にいた際に、トラブルにより東急東横線の電車が小一時間動かないという出来事があった際も、私は「じゃあ、たまにはゆっくり喫茶店なりバーにでも寄り道して、一人の時間を過ごすとするか」という考え方をしてしまうのだが、今回の場合は作品であり、特に ZINE なので鮮度が命であり、一定の期間が過ぎてしまうともうやる気が失せてしまうから、私としては一刻も早く終わらせて次へ進みたいのである。また、それを待つ人が少なからずいるわけなので、待たせてしまっているのもなんだか申し訳ない。これが誰の手にも届かず、完全なる自分の趣味の範疇であればまだ良い。

そもそも ZINE(ジン)というのは「これを制作したい」という気持ちが大きな動機なので、それをやろうと思ってカタチになるまでの時間が長ければ長いほど「鮮度」が薄れていくものだ。さらに私は良くも悪くも飽き性なので、正直に言うと印刷を決めた時点ですでに飽きかけているから、出来る限り迅速に私の手から解放してあげたい、頭の中ではすでに次の作品が浮かんでいるということになっているのだ。

良くも悪くもと形容してみたが、これは私的には「良い」ものだと自負している。それがあるからこそ、どんどん次の作品を産み出せるし、少なくとも過去の栄光などにすがりつくような真似よりはずっとマシだとすら思っている。自分の過去の作品を愛していないわけではないが、必要以上の執着心がないからこそ、周囲が「あのときの作品が好きだった」と言ってきても微動だにせず、いつだってイマを視ることができる、イマの自分と向き合えるからだ。