150記事更新して分かったブログ運営の答え:記事を削除した理由

what i am ?
ぼくは、今日ブログの記事をほぼすべて削除した。一度目は100記事更新した時点で「言葉(=文章、コンテンツ)を消費するのではなく紡ぎたい」と思ったから。愚かなことに、二度目もまったく同じ理由。

二度も同じ過ちを繰り返してしまったわけだけど、今となっては必要悪だとすら思っている。ブログと真摯に向き合い続けたからこそ、ようやく分かった自分だけの答え。



ブログ運営当初


今年の春、このブログは特にジャンルを定めない雑記ブログとして始まった。今公開している記事を見て分かる通り、当初はユーザーに価値あるコンテンツを届けるビジョンを描いていた。ちなみに運営期間1ヶ月未満、10記事程度の時点でグーグルアドセンスの審査には合格した(Amazonアソシエイトは不合格したまま放置中)。



100記事達成:低迷期突入


その後は真剣に1000〜3000文字で書いた記事もあれば、当初描いていたビジョンから外れ、完全に勢いで書いた自己満足の記事もありつつも、とりあえず100記事を達成した。ここまで3ヶ月。書かない日もあったけど、一日一記事を書くのと同等のペースだ。

でも、達成した途端になんだかつまらなくなってしまった。自分は何をやっているのだろうと思い悩む始末。そして下書き状態にするわけでもどこかにメモするわけでもなく、一部の記事(13記事)を除いて削除した。100記事中87記事を削除する、その愚かさなどはすべて理解した上での選択。



空白の期間


削除したときは爽快な気分だったけど、結果的にそれが災いとなって長期間の放置に繋がってしまった。頭の隅で「優れた記事を書かなければいけない。それができないくらいならブログに関わってはいけない」と考えていたのかもしれない。

また、ブログに執着しすぎて他のやるべきこと、やりたいことがおろそかになっていてフラストレーションが蓄積されていたのだと思う。実際、解き放たれたように次々と作品を製作していき、ブログから離れたからこそ成し遂げられたことは多かった。

でも、それは半分正しいけれど半分間違いだ。言い訳にすぎない。ビジョンが明確だったらここまで放置したり、ましてや苦悩することはなかったと思う。最初からブログで何をしたいか、どう付き合っていきたいかハッキリしていたら、書けない期間が続いても悩むことはないわけだ。

そして、7月から10月まで記事を書くどころかブログを見ることもしなかった。ブログに関わるすべてのことが頭の中から完全に消失した3ヶ月を過ごすことになる。



3ヶ月放置した結果


自分の身の回りが落ち着いてきた頃、とても久々にブログに関わった。それまではグーグルアナリティクスも見なかったので、どうせアクセスは下落しているか皆無に等しいだろうと思っていたのだが、月間ページビューは6倍に増加していた。

13記事だけを残し、3ヶ月以上放置していた割にはアクセスが伸びていたことに少し驚きつつも、どの記事がPVに貢献しているかは確信していた。

その記事は「【フィルムカメラの空港対策】荷物検査で感光した写ルンです」と「【検証】チェキのフィルムは空港の荷物検査で X 線を浴びても大丈夫」の2つで、全体の9割以上のPVを得ている。

この時点でユーザーにとって有益なコンテンツを軸にしていけばよかったのだが、ぼくは新しい可能性を見出だしたつもりになっていて、再び脱線することになる。



曖昧なビジョン


当の本人が納得して書いたという実感に加え、1ヶ月で平均2,000PVを稼ぐ記事という結果も得ていたわけだが、それでもぼくは雑記系ではなく日記系ブログに惹かれていた。というよりも、この頃は自分の中で「ブログってなんだろう?」と揺れていた。「ブログをやっているんだから、好きなことを書いてもいいじゃないか」と考えるようになっていた。前回とまったく同じ過ちを犯しているのは分かった上で「あのときとは見方が違う」とすら考えていた。

もちろん、日記系ブログを否定するわけではない。検索すると「個人の日記なんて誰も読まない」「日記ではPVも収入も得られない」と言い切る意見が多いが、それは必ずしも正しいわけではない。なぜなら、世の中には個人的な日記を綴っていても多大なアクセスや収益を果たしているブログが確かに存在するからだ。

価値あるもの(コンテンツ)をどう定義するかで受け止め方が変わってくるであろうけど、たとえ日記でもユーザーが面白いと思ったのなら、それはもう立派なコンテンツだ。この考えは今も昔も変わらない。

魅力的な日記と表すと、読んでいて笑えるようなユーモアだったり、タメになるような深い内容が書かれたものを連想するかもしれない。あるいは糸井重里氏が書くようなエッセイのような日記だったり、pha氏などの世間に知れ渡った人が書いた日記のようなものとか。一方で、何者でもないひとが毎日自分のためだけに書いた日記で30万PVを果たしているブログもある。

ぼくはそんな彼らの姿勢に触発されてしまったのかもしれない。いわゆる情報系の記事と並行しつつ、個人的な日記も書こうと思い始めた。それが本心かどうかも確かめないまま、10月から12月にかけて60記事ほど書き続ける。それが自分にとっては過ちだと再認識するのに2ヶ月もかかってしまった。明確だったビジョンは、曖昧なビジョンへと変化していた。



ブログの本質


ブログの扱い方も、大なり小なりPVや収入を得ようとするための手段も、本当に人それぞれ。ブログに正解はない。記事を量産して成功している方もいる。量ではなく質を重視し、少ない記事でも成功している方もいる。どこに力を注ぐのかが違うだけであって、考え方が異なる両者の共通点が努力なのは間違いない。自分が向いているか向いていないか、さらに掘り下げると自分がやりたいかやりたくないか。ただそれだけのこと。

ぼくの場合、脱力して日記を大量に書いていくよりも、こうして時間をかけて丁寧に書くことの方が向いていることを忘れていた。同じことを繰り返してしまったわけだが、ブログと距離を置きつつ、実際に手を動かし続けたことで得たこの“実感”はかけがえのないものだと思っている。実体験に勝るものはない。

記事以外の面では、シンプルとミニマルを追究した結果「サイドメニューを削除した1カラム」「アイキャッチ画像も省いたタイトルのみを一覧表示させるスタイル」という答えに辿り着いたのだけど、今は2カラム形式に戻し、アイキャッチ画像も復活させた。

アイキャッチ画像に対して否定的なのは、多くのブログが記事の内容との関連性が乏しいものだったり記事中に何度も表れたりして、ぼくには必要性が感じられないから。これは今でも変わらないけど、シンプルなものをphotoshopで製作して用意するのは楽しくもあるし、何より自分でも見やすいと改めて思った。

ブログを始めた当初を振り返ってみると、こうして何か築きあげていく行為そのものを楽しんでいる自分がいた。どんなブログにも通用することだけど、この“楽しい”という感情が最も大切。



有益なものには勝手に収益がついてくる


自分は完璧主義者なところがあるので、仮にPVを得られない記事であったとしても、自分が納得できていればあまり気にしない。

たとえば「色相別 配色パターン 全275色:コピペで使える Web カラーコード & RGB 付」という記事は、他と比べるとPVは少ないが満足している。色について悩んだときに、ふと見ることもある。もちろん自己満足だけで終わらせないように、ユーザーのことも考慮している。

ぼくの中では第一に“自分”を優先する。それは決して自己満足を主張しているわけではなく、自分にとって価値があるコンテンツと思えないものは他者にとっても同じことが言えるからだ。

真剣に書いた記事を蓄積し続ければ、大なり小なり結果を得られる。有益なコンテンツには、収益は勝手についてくる。収益を最優先にする方も多いとは思うけど、自分にとってそれは付加価値にしかすぎず、最も優先度が高いのは自分自身の納得と実感。ぼくは、自分の家を建てるような気持ちでブログと向き合いたい。