言葉を消費するのではなく紡ぎたい



自分で自分の言葉を消費していた。改めて、そう思った。

「ぼくは言葉を消費したいのではない。言葉を紡ぎたかったはずだ」と、心の中で自分で自分に問いかけ、絶望に類似した気持ちすら抱いている。

時刻は夜中の12時を過ぎたところ。明日のことを考えるとそろそろ眠った方がいいのだが、このようなモヤモヤしたものを抱えては眠れないし、眠りたくもない。

まもなく100記事を迎えようとしているこのブログ。肯定的かつ客観的に考えると、これまで自分なりに悪戦苦闘と自問自答を繰り返しながらも歩み続けたからこそ、書き続けたからこそ、今の答えに辿り着くことができたとも言える。

しかし、ぼくはそうやって自分で自分を許して納得させることはできないので「何度同じ過ちを繰り返せばいいのか?」「どこにいるのか?」「どこへ行きたいのか?」「本当は何がしたいのか?」といった疑問ばかりが浮かぶ始末。

「紡ぐ」という言葉には「言葉をつなげて文章をつくり、物語や詩を生み出す」「綿・繭から繊維を引き出し、よりをかけて糸にする」といった意味が込められている。

ぼくは、自分という繭から繊維(言葉)を引き出し、よりをかけて糸にしたい。あわよくば、この糸が相手の心にすうっとつながり、相手の人生や心の支えとなる一本の糸になってくれたらと思う。